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2005年12月27日

涙なしに読めない



奇跡のラグビーマン―村田亙37歳の日本代表

37歳の今もトップレベルで現役を続けるワタさんの活躍ぶりには、本当に感動と勇気をいつももらっている。
今年の9月、トップリーグのセコム戦で顎を骨折。
普通の感覚なら、年齢的なことなどを考えて引退を考えるであろうところを、すぐに手術。
スーパーサイヤ人になって復帰しようと、術後5日目には病院内の階段でトレーニング開始するという、本当に超人である。
私はヤマハファンではないけれど、村田亙という人物のことはラグビー選手としても人間的にも、心から尊敬している。

この本を読むと、小さい頃から負けず嫌いでめちゃめちゃポジティブシンキングだったんだ、ということがよく分かる。
私はこんなに強くは生きられないなぁ。でも、ちょっとでも近づけたらいいなぁ。

俄かラグビーファンの私は、専修大、東芝府中時代はおろか、バイヨンヌ時代も知らない。
フランスからすごい選手が代表のために帰ってきたっていう辺りからが、私が知っている村田亙だ。
2002年の最終予選、そして2003年のワールドカップのことはもちろんよく覚えているが、あの代表選考は当時も今も、本当に納得いかなかった。

個人的に忘れられない思い出は、あれはワールドカップイヤーの春シーズンに行われたテストマッチ、スーパーパワーズカップのロシア戦だったか…
ジャパンは負けた。秩父宮で行われた試合後、どうしてもやりきれなくて、悔しくて、いつもは滅多に出待ちなんてしないのに(ましてや負け試合後だし)、クラブハウスの前でぶらぶらしてたら、その日メンバー外の選手が出てきた。
私はちょうど近くにいたワタさんに
「勝ってほしかったです」だか「次は勝ってください」だか、なんか話しかけたんだ。
そしたら、
「ボクが出たら絶対勝ちます!」
とはっきり、めちゃめちゃポジティブに答えてくれた。そのコトバはずっと忘れられない。
しかし、実際にはこの本にもあるように、ろくに出番が与えられず、最終的にメンバーから外れてしまった。
タラレバはないけど…、ワタさんのプレー、ワールドカップで見たかったなぁ。

ワールドカップの代表選考のくだりは、そんなことも思い出して、本当に悔しくてやりきれなくて、泣けた。
と同時に、日本ラグビー協会に対して怒りがこみ上げてきた。
しかしワタさんは、そんなひどい仕打ちにもかかわらず、現状から逃げなかった。なんて強い人なんだろう、と感動して泣けた。
そしたら、日本ラグビー協会はさらに生傷に塩を塗りこむような非道な要求をしてきたらしい。
この人たちはどこまで非道なんだろう、と怒りが抑えられずまた泣けた。
が、そんなひどい仕打ちも受け止めるワタさんに、この人はどこまで器の大きい人なんだろう、と感動してまた泣けた。

そういえば、03−04シーズンの最終戦、日本選手権決勝のキャップ授与式でも、代表して挨拶してたなー。
そのときも、私スタンドでひとりで泣いたんだった…

2003年のことはもう過ぎたことで、今さら言っても仕方ないことだけど、また次の2007年、おかしなことにならないことを願うばかりである。
私たちファンは、日本協会が間違いを繰り返さないように、ちゃんと見張ってなきゃいけないんだな、うん。
アタマの固い協会の偉い人たちには、こんな戯言、耳に入らないかもしれないけど。

投稿者 あっこ : 2005年12月27日 00:46 | [ カテゴリ : ラグビー ]

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