2009年10月31日
子パンダの河南省旅行・その3
この日は朝から中国版新幹線の動車組『和諧号』に乗って、安陽へ行きます!
新幹線に乗るというので、子パンダはウッキウキ♪かえる君はさらにウッキウキです。

中国版新幹線は、全席指定でとても快適。あっという間に目的地の安陽に着きました。

安陽は、殷(中国では「商」)代の遺跡があり、甲骨文字が大量に出土したところです。
殷の遺跡は、宮殿跡と王陵跡の2箇所があります。早速Go!
まず向かったのは、殷墟宮殿宗廟遺址。

発掘現場全体をそのまま遺跡として残したような感じで、結構広い敷地内に見所が点在しています。
一番の見所は、やはり殷墟博物館。
安陽でみつかった貴重な発掘の主要なものはこちらに集約されているといっても過言ではありません。

まず展示されていたのが、水道管。すでに治水などの技術が発達していたというのは、すごいですね。

そして殷代の主なものとしてあげられるのは、やはり青銅。何がなんだか忘れましたが、いっぱいありました。

それから、玉もいろいろありました。これも1つ1つは何か忘れました。

そしてなんといっても、甲骨文字。漢字の起源となったものです。いちいち写真撮りきれないくらいいっぱいありました。

この立派な青銅器は、司母戉鼎。殷墟遺跡の発掘物の中でもとくに重要なものらしい。
どう重要なのかは分からずじまいでしたが…多分、大きいから?大きなものを作るには、高度な技術が必要ですからネ。

他にも、鈍器の一部が刺さってる人の頭蓋骨(戦闘の跡を示すと思われる)とか、竹のフィルター(何に使ったのか不明)とか、獣の骨を加工した装飾品とか、なんか興味深いものがいろいろありました。
もちろん、例によって子パンダが大人しくしてるわけがないので、ゆっくりは見れませんでしたが。
殷墟博物館を出て、その他の見所を見学。
ここは、殷墟車馬坑展庁。

ここには、発掘された馬車が6台展示されていました。馬車と一緒に人骨が埋葬されていたとのこと。
馬車はどこか他の発掘現場から持ってきたようですが、手前に写っている車輪の跡は発掘されたものそのままなようです。

その他の見所は、発掘されたものがそのまま残っているような感じでした。
甲六基址。この”甲”は、いわゆる”甲乙丙丁…”の甲で、Aみたいな感じ。発掘時につけた整理番号みたいなもの?
柱の跡などは風化してしまうので、そこに木の杭をたてています。

これはなんだっけ、まあとにかく他のも何かしら番号というか名前がついてますが、こんなのがいっぱいあります。
人骨とか土器などがみつかったところは、そのまま透明のカバーをかけて残されておりました。

こちらは、婦好墓。皇帝の妃の墓で、ほぼ完全な形で発掘されたとても貴重なものだそう。

こちらは、祭祀坑。一つ一つ、人骨とか獣骨とかいろんな道具とかが埋まってます。
埋葬のしかたも、横たわった状態とか座った状態とか、いろいろありました。

その他、甲骨文字と現代の漢字の対応表とか、発掘された甲骨文字の内容の解説とかが敷地内に展示されており、それはそれでなかなか面白かったです。
結構私が見入ってしまって、気がついたら子パンダがひとりでどっか行ってたってことも(汗)
と、殷墟宮殿宗廟遺址だけでも結構時間がかかってしまったのですが、本当に見ごたえがありました。
続いて、殷墟王陵遺址へ。こちらは、王陵跡です。

敷地内はこんなだだっ広いと感じ。
殷墟博物館に展示されていた司母戉鼎が発掘した場所でもあり、レプリカが飾られています。
王陵の発掘後は、風化してしまうのでまた埋めてしまったようで、植え込みで形が分かるようになってるだけでした。

王陵墓葬展覧館。司母戉鼎が発掘された場所だと思う。多分。
ここにもレプリカがおいてあって、多分、発掘されたときの状況を再現してるのではないかと。

こちらにも車馬坑陳列館はあったのですが、雰囲気はさっきの宮殿宗廟遺址とだいたい同じ。
まあそういうのがとにかく大量に発掘されたということですね。一応、中国最古の車が出土した場所らしい。

王陵遺址は、実際にさまざまな物が出土した場所として重要ではあるのでしょうが、出土品として貴重なものはほとんど殷墟博物館にうつされており、いっぱい見すぎてお腹いっぱいな感じでした。
ま、通し券なので時間があればどうぞ、という感じでしょうか。
ちなみに、宮殿宗廟遺址と王陵遺址の2箇所は無料シャトルバスで連絡しているとのことでしたが、8人のりくらいのワゴン車に20人以上詰め込むというシロモノ。こんなことならタクシーで行ったほうがマシなくらいでしたが、問題は王陵遺址のほうは訪れる人が少ないのかさびれてて、行きはいいけど帰りはこの悪夢のようなワゴンに乗るしかないのでした。
というわけで、殷墟遺跡の観光はこれでおしまい。
また新幹線に乗って鄭州に帰りました。
ところで、鄭州には日本人がやってる鉄板焼レストラン『尊和』があります。
鄭州に2泊しましたが、2晩ともこちらでたらふくいただきました。
観光で鄭州に来るような物好きは少ないらしく、また、大連から牛肉とか調味料とか仕入れているそうで、話好きの社長と大連話で盛り上がりました。
来年のACLは、鄭州を本拠地とする河南建業の出場が決まっております。
遠征に行かれる際には、ぜひ行ってみてください。
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2009年10月23日
子パンダの河南省旅行・その2
続いて中国三大石窟の1つで世界遺産にもなっている、龍門石窟へ。
ちなみにあとの2つは、この夏に行った敦煌の莫高窟と、大同の雲崗石窟です。

莫高窟もすごかったけど、ここはここですごかった。
ここにはわずか数センチの小さなものから巨大な石窟まで、大小あわせて何千という窟が開削され、何万体という石仏が彫られています。
莫高窟と異なるのは、ここの石仏はどれも岩を削りだして作られたものだということです。
また、いずれも露天のまま開放されており、かなりの石仏の頭や手などが破壊されていました。
壁画もあったのでしょうが、ハッキリと分かるほど残っているものは、かなり少なかったです。

ある程度の大きさの窟には番号と名前がつけられていますが、いっぱい見すぎて何がなんだか分からなくなりました。
川沿いをずっと行って、一番奥にあるのが、龍門石窟最大規模の窟で、奉先寺と呼ばれています。
則天武后をモデルにしたといわれる廬舎那仏が祭られています。

ここまででだいたい西山の見学終了。
本当は川をはさんで東側にもあるけど、いっぱい石仏見すぎてお腹いっぱいになってきたので、省略。
奉先寺のあたりから船が出ていたので、それに乗りました。
水上から眺める石窟群もなかなか壮観です。
船をおりたところに白園(白居易の墓)があったので、ついでに見ました。
まあここは、龍門石窟のついで、って感じでした。

欲張っていろいろ見てたらもう夕方になってしまったので、この日の観光はこれで終了。
翌日午前、関羽の首塚があるという関林廟へ行きました。
ここは洛陽市内からほど近く、しかもホテルの目の前から乗れたので路線バスで行きました。

関羽のお墓だけに、「忠義」「仁勇」と書かれたのぼり旗がたっています。

祭られているのは、もちろん関羽。その両脇には、妻子とかの像もありました。

ここもお寺みたいに線香をあげるところがあります。
最初、何が気に入らなかったのか不機嫌だった子パンダも、お線香を見たらハッと思い出し、
「線香燃やす、線香燃やす」
と大騒ぎ。

あまりしつこいので結局中で高いのを買う羽目に。蝋燭と線香3本で40元。これでも一番安いやつ。
まあ関羽のお墓だし、おかげで機嫌が直ってくれたのでよかったけど。
線香をあげる手つきも、すっかり様になっております

で、こちらが境内の一番奥にある、関羽の首塚。

なんかコインを入れる穴が2つ開いていて、右は平安、左は財運が叶う、とかいって、係りの人が隣で小銭に両替しますよーとブースを出していました。
なんか一応みんな各自コインを入れてきました。

境内に、偶然生えたのか、どっかから持ってきたのか分からないけど、三叉になってる木がありました。
劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りにちなんでいます。

昨日のタクシーの運ちゃんは、関林廟なんておもしろくない、なんて言ってたけど、なんだかんだで面白かったです。
これで洛陽観光は一応終了。また長距離バスに乗って鄭州へ移動です。
鄭州自体には、見所というほどのところはありませんが、一応市内観光を少し。
商(日本では殷)の時代の城壁後という、商代遺址。
城壁というほどの面影は全くなく、なんというか、単なる土手みたいな感じでした。
『歩き方』に老人の憩いの場とあったけど、本当にそのとおりで暇そうな老人がいっぱい集まっていました。

鄭州のシンボルともいえる二七塔。
二七ストを記念して建てられたもので、二七ストっていうのは良く知らないけど、鄭州で昔あった中国共産党指導による大規模ストライキとその後の弾圧事件だそうです。街一番の繁華街になっていました。

以上で、鄭州の市内観光はわずか半日っていうか実質2時間もかからずに終わってしまいました。
つづく。
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2009年10月17日
子パンダの河南省旅行・その1
更新が滞り気味ですが…(汗)
国慶節の連休で、河南省に行ってきました!
家で「今度どこ行く〜?」と『地球の歩き方』をパラパラめくっていたら、急に子パンダが龍門石窟の石仏の写真を指差して
「これ、こーゆーの、見たい!」
と言いだしたのです。
ホントーです。作り話でも洗脳でもありません。かえる君のDNAは着実に子パンダに受け継がれております。
さて、河南省の省都・鄭州は数少ない大連から直行便が飛んでいる都市です。
洛陽にも空港はありますが、北京などで乗り継ぎになるので、鄭州空港から空港バスで洛陽へ向かいました。
約1時間半のフライトの後、また3時間弱のバス…
大人は移動疲れでちょっとぐったりでしたが、子パンダはむしろ
「バス楽しい♪」
と、ハイテンションでした(´ー`;)
ホテルに荷物を置き、早速近所をぶらぶらと散歩。中国風な公園がありました。
公園で心置きなく放流できると思ったのに、意外と盛り上がりませんでした(´・ω・`)ショボーン

翌日はタクシーをチャーターして洛陽近郊の見所をまわります。
まず向かったのは、白馬寺。ここは、中国に仏教が伝えられて最初に建てられた仏教寺院です。

門をくぐって参道に入ると、線香やらお土産やらを売るお店がたくさん並んでいました。
せっかくなので、線香を買いました。10束で3元だっけ、安かった。

チケットをもぎられて入り口を入ると、白馬寺だけに馬の石像がありました。
周りを柵で囲まれてるのに、他の観光客たちはかわるがわる柵を越えて馬に跨って写真を撮っていました。

境内では、この日がちょうど中秋節だったため、お寺参りをする人々でごった返していました。

子パンダも、見よう見まねでお線香に火をつけたり、なんか壷(?)に触ったりしました。
最初は戸惑っていた子パンダも、この線香を燃やすのが面白かったみたいで、しまいには
「線香、もっと燃やす、もっと燃やす」
としつこかった(−−;)

ところで、こういう水の溜まってるところには必ずお金を投げ入れる人がいますが、紙幣はどうかと思います。

続いて、
少林寺は崇山という山にあり、本当はこの山そのものが見所なのですが、今回は時間がないのでパス。
中の移動は電動カートで、少林寺と塔林だけをピンポイントで見に行きます。

まずは、塔林へ。ここは、少林寺の歴代僧侶の墓です。塔が林のように林立しています。

これは、塔林の中で最も高い塔の「裕公塔」。高さ10メートルだそうです。

その近くにあったこの塔、側面の図柄がノートPCと飛行機。
わりと最近の方なのでしょうか。ハイカラですね。

全部の塔をゆっくりと見ることはできなかったけど、なかなか面白かったです。
塔林から少林寺へは、徒歩で10分ほど。
途中、遥か彼方の山中に、おそらく達磨洞と思われる建造物が見えました。
達磨洞は、達磨大使が9年間誰にも会わずに修行をした場所らしい。
右下のあたりに、達磨洞に登る山道が見えます。

少林寺の前で、名前を使って漢詩を作る人がいたので、子パンダの漢詩を作ってもらいました。
気がついたら、ご朱印みたいのを押され、立派な額縁に入れられて、想定の倍の値段になってました(・・;)

さて、本題の少林寺です。

境内には、修行によって幹が凹んでしまった木がありました。
子パンダには、この穴を触ったのが相当印象に残ったらしく、その後しばらく
「少林寺、アチョー触った」
とじつこく言っておりました(´ー` )

少林寺を後にし、タクシーの運転手オススメの精進料理のお店へ。
材料にいっさい動物性のモノをつかっていないとのこと。
ウィンナーとセロリの炒め物を食べたのですが、これが本当に肉じゃないとは思えない味・食感!
これは本当にびっくりしました。普通においしかったです。
他のもどれもおいしかったけど、白米飯だけは激マズでした。

なんか長くなってきたので、一旦この辺で。
つづく
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2009年09月21日
子パンダのシルクロード河西回廊旅行・敦煌後編
前編からのつづきです。
朝っぱらから動き回っても、これだけ見て回るとさすがに昼はとうに過ぎ、もう観光には向かない時間帯。
しかも食料は果物とクラッカーだけだったので、空腹で一歩も歩きたくなーい!全員一致で、そのまま適当なレストランに直行。
一応お腹を満たして、ホテルに戻り全員で昼寝。
普段はベッドの上で素直に昼寝なんてしない子パンダも、この日ばかりは若干抵抗しつつバタンキューでしたzzz

さて、夕方若干涼しくなったところで、再びレッツらゴー!
向かったのは、敦煌市街地から車で5分ほどの近くにある砂の砂漠、鳴沙山。
この辺りの砂漠は、ゴビ灘といって硬い土の上に小石がゴロゴロして乾燥に強い低木がまばらに生えているところがほとんどで、いわゆる”砂漠”なイメージとはちょっと違うのです。
が、ここは見渡す限りの砂の上をラクダに乗った隊商が行く、まさにシルクロードっぽい雰囲気が手軽に味わえます。

砂遊び大好きな子パンダは、「巨大な砂場だ!」とばかりに、もう大大大ッ興奮!
入り口入ってすぐのところで、すでに砂に埋もれていました。
今回パンダちゃんがとーっても楽しみにしていたのが、ラクダに乗る体験。
さー、あれに乗るぞー!
砂遊びに夢中になっていた子パンダも、ラクダに乗るよ!と言ったら、急いでついていました。

ラクダにいざ乗ってみると、急に視線が高くなって、気性は大人しいし調教されてるしで、全然怖いことはなく、むしろ快適。
子パンダも、ちょっと怖がるかな?と思ったけど、全然怖がることなくかえる君と一緒に跨って乗れました。
ラクダ同士を綱で前後につなげているので、歩きながらの撮影はこんなお尻しか撮れませんでした(^^;)

ラクダ体験は、決まったルートを歩いて、途中で休憩をはさみ小1時間くらいでしょうか。
途中の休憩地点では、砂山を滑り降りるアトラクションとかが、もちろん別料金でやってました。
そんな人工物を視界の外に置いて、見渡す限りの砂を見てるだけで、なんとも雄大な気分に浸れます。

次の休憩地点は、月牙泉。
砂漠の中にできた月の形の泉で、ここはどんな天候でも一度も水が枯れたことがないとか。
月牙泉のほとりに楼閣も建っていて、これまた雰囲気バッチリ。まあ遠目に見たら、単なる売店ぽかったけど。
月牙泉の周囲には転落防止柵ができていて、これまた近寄るとあまり写真栄えはしません(´д`;)

といっても、子パンダがこんなでその場から全然動こうとしないので、楼閣には登りませんでした。

砂で遊ぶ子パンダを尻目に、パンダちゃんとかえる君は、砂の上に座り込んで時の経つのも忘れそうでした。
実際、ふと気がついたらもう日はとっぷり暮れて、真っ暗。
名残惜しむ子パンダをなんとか引きずって、そこから出口まではカートに乗って帰りました。
そして翌日は、敦煌観光の目玉、莫高窟へ。
「砂漠の大画廊」と呼ばれ、大規模な石窟の中に壁画や石仏がたくさんあります。

日本語ガイドがいるらしいのですが、いつ行けば日本語ガイド付きで見れるのかが不明のため、やはり早めに出発。
手持ちの本では早いもん勝ち的な書き方でしたが、システムが変わっていたようで決まった時間に始まるとのこと。
私たちは朝早めに出たので10時のに参加できましたが、次は14時だかずっと後だったので、ラッキーでした。
中はもちろん撮影禁止。柵の外からのみ写真が撮れます。

500近い石窟のうち、公開されているのは一部で、通常は鍵がかかっています。
しかもガイドが石窟の鍵を持っており、ガイドが選んだ石窟しか見れないので、どれを見れるかは、運次第。
それとは別に、私は日本語ガイドの説明も聞きつつ、次のに移動する間にちょうど開いてた石窟も勝手に見学してました。
そのときは、いちいち「おぉ」と感動して見てましたが、後で確認してみたら、結局どれをみたのか分からなくなってしまった…
ま、仏教美術を専門に研究してるわけでもないからいいんだけどサ。
もちろん、敦煌文書で有名な第17窟(蔵経洞)とかは、必ず見学できます。
第17窟というのは、大きな第16窟に向かう通路の脇に開削された小部屋で、思ってた以上に本当に小さかった。
ここに、膨大な量の経典などの文書が、棚とかに整理されるでもなく雑然と積み上げられていたそうです。
この第16窟の前に莫高窟陳列館があって、絶対にマトモな写真が撮れないようになってました。

ガイドツアーは、約1時間で終了。
パンダちゃんはそれなりに堪能しましたが、かえる君は大人しくついて歩くわけのない子パンダの対応に追われてました。
昔は、石窟はどれも露天で野ざらしだったそうですが、今は保護のため壁を作り門を閉ざしています。
しかし石窟を公開すると、やはり大勢の人が出入りするため、顔料の材質によっては退色は劇的に進むそうです。
今見ると、鉱物で彩色された箇所だけがハッキリ残って、説明がなければ何の絵か全然分からないものもありました。
また、床に陶器のタイルが敷き詰められている石窟もあるのですが、これも見学者が踏んで磨耗し、図案が薄れていました。
まあ当時寄進していた人々も、これだけ多くの人に見られることは想定していなかったことでしょう。
ちなみに、観光用に整備された石窟群のすぐ近くにも、こんなに石窟がたくさん。

これで、観光はすべて終了。
子連れで何かと大変でしたが、中国赴任中にぜひ行きたい場所だったので、なんとか無事行ってこれてよかったです。
オマケで、今回食べたローカルフードを一挙紹介。
というほどローカルフードはあまり食べず、日本食や洋食に逃げてたんですけどね。
その辺のヘンな安食堂じゃ子供が食えん、ていうのは言い訳で、大人もかなり許容範囲が狭くなってきています(汗)
嘉峪関の長距離バスターミナル近くのレストラン。味は可もなく不可もなくだけど、2日連続で行ってしまった。

敦煌名物らしい、鶏湯麺。大人でも結構辛いと思ったのに、子パンダはものともせずにガン食いでびっくり。

敦煌の沙州夜市にあった砂鍋。
砂鍋とは一人前づつ煮込む鍋料理で、具はいろいろ。具材によってはわりとアッサリした味付けで、辛さは各自お好みで調節。

砂鍋だけでは物足りなかったので、豚角煮ミンチバーガー(正式名称不明)を買い食い。
最初、みんなで1つ買ったんだけど、1口食べてその場でもう1つ追加してしまうほど、ツボにはまる美味しさ。
1つ5元だったかな、ちょっと高いかなと思ったけど、結構ボリュームもあり、大満足でした。
一緒に飲んでる茶色の液体は、これまた敦煌名物らしい「杏皮水」という清涼飲料水。
よく冷えたのを売っていて、ほのかに杏の香りがして、結構甘いんだけど暑さに疲れたカラダにしみこむ美味しさでした。

そのほかは、こんな市場で果物を買ってひたすら果物を食べてました。
ハミ瓜が有名だけど、甜瓜という大連では見たことのない瓜が甘くて日本のメロンに近くて、美味しかった。

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2009年09月19日
子パンダのシルクロード河西回廊旅行・敦煌前編
つづく。と書いておきながら、ちょっと放置してしまいました。すみません。
敦煌の一日目は、やはり車をチャーターして郊外の見所をぐるっと回ります。
砂漠の昼間は灼熱地獄!ということで、かなり早起きして出発です。
まず向かったのは、玉門関。漢の時代に作られた西端の関所です。
ここは、だだっ広いゴビ灘の中にぽつんと、しかし巨大な土(?)の塊があるという感じで、そこがそうだと説明されなければ分からないようなシロモノでした。

玉門関の周囲には漢代長城跡が残っています。
そこそこしっかり残っているものは柵に囲まれているのですが、その周りにある単なる土の盛り上がりも長城跡だそうです。

手持ちのガイドブックに「周囲には狼煙のための燃料(藁の束のようなもの)が残っている」とあるのですが、これかな?

こちらも玉門関の近くにある河倉城という、これは兵糧を蓄えるために使われていた城壁跡。
風化はすすんでいるものの結構建造物が残っていました。といっても、食料庫だったとは、言われなければ分かりません。

たまたま運がよかったのか、わざわざ足を運ぶ人が少ないのか、漢代長城と河倉城は人気がなく、どっぷり歴史ロマンにひたれました。
続いて向かったのは、陽関。
ここは、王維の詩に「西の方、陽関を出ずれば故人無からん」と詠われた、これまた重要な関所です。
2007年だったかな、最近「陽関博物館」としてリニューアルというかいろいろ作ったみたいで、やけに新しい入り口でした。

チケット代にガイド料が含まれており、もちろん中国語のみですが、昔風の衣装を着たお姉さんが解説してくれました。
博物館内には、この辺りで発掘されたものが展示されており、とくに生まれてまもなく亡くなった子供のミイラは衝撃的でした。
博物館を出てガイドに従って進むと、これまた古代の集落跡っぽい復元と、通関の様子を復元したものがありました。
ここでは、観光記念に通行手形を作ることができ(有料)、また勝手にいろいろ触って写真も撮ってよいとのことで、子パンダはやっと自分の出番が来たとばかりにガチャガチャとなんかお札とかをいじって遊んでいました(笑)

余談ですが、中国語で「よろしくお願いします」の意味の「請多関照」は、この陽関の関所で护照(パスポート)を手続きするところから来ている言葉なんだそうです。
といってもこの「請多関照」、中国語を覚えたての日本人が好んで使い、あまり中国人は使わないらしいですが。
さて、前フリは終了、これからやっとホンモノの遺跡に向かいます。
陽関博物館や古代集落復元から遺跡までは、すぐそこに見えてるようで結構な距離があります。
もちろん歩いていくこともできなくはないですが、馬かカートに乗っていくことを勧められ、素直にカートに乗りました。
唯一残っている建造物の、狼煙台。

柵の向こう側は、漢代の頃の陽関大街らしい。当時はシルクロードを行き交う人や駱駝で賑わっていたことでしょう。
その向こうに見える緑は、陽関鎮。砂漠の中のオアシスだということが、よーく分かります。

ところで、車で走っていくといたるところにあるこんな掘っ立て小屋。なんだと思います?

これは、干し葡萄を作るための葡萄干し小屋なんだそうです。
ちなみにこの旅行では見かけませんでしたが、新疆の方に行くと街路樹は葡萄の木らしい。
理由は、放っておいても勝手に育つから。しかし、農薬まみれなので、もちろん食べられません。
続いて向かったのは、西千仏堂。
有名な莫高窟の西側にあるのでこう呼ばれているらしいのですが、広域的に見ると同じ系列の遺跡になるそうです。
規模は莫高窟に及ばないけれど、仏教美術的には同じくらい重要なものらしい。
しかしそんなに有名でないというか、莫高窟が有名すぎてこちらは観光客が少なかった。
やはり中は写真撮影禁止、19だかの窟があり、そのうち5つくらいだかしか公開されていないとのことです。

お次は、倣宋古城。倣宋古城なんて言うより、”電影城”て言う方がよっぽど通りがよかった。
映画『敦煌』の撮影で使った実物大のセットで、その後も中国の映画やドラマの撮影で使われているらしい。
ここに行く頃には、時間も昼近くなりかなり暑い。しかも短時間にいろいろ見すぎて、結構お腹いっぱい状態(--;)
所詮映画のセット、と思って、適当に写真だけ撮ってすぐ退散しました。
これまた時間帯のせいか、他に観光客がほとんどいなかった。

さくさく行きます。次は、白馬塔。
4世紀の末、西方の高僧が敦煌に至ったとき経典を担がせていた白馬が死んだため、篤信の敦煌の人々が馬をここに埋葬して塔を建てたらしい。その後たびたび改修され、現在の塔は清代のもの(ガイドブックそのまんま)
車で市内に戻る道なりにあるので行ったけど、わざわざ行くほどの見所ではなかった。

白馬塔のすぐ近くにある沙州古城。
敦煌の町が今の場所に移される前、「沙州」と呼ばれていた頃のシルクロードの要衝地として栄えたところ。
はっきり言って崩れかかった砂山っていうか、チケットとかもなく、道端に突如出現するので、工事現場かなんかの土砂堆積場かと思いました(^^;)

思ったより長くなったので、続きは別エントリーに分けます。つづく。
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2009年09月06日
子パンダのシルクロード河西回廊旅行・嘉峪関編
山形戦の一時帰国と前後するのですが、かえる君の夏休みを利用して、甘粛省の嘉峪関・敦煌へ旅行に行ってきました。
嘉峪関は、万里の長城の西の端、敦煌はシルクロードの要衝で古代中国のいわば国境とされてきたところです。
西安を起点に西方へ続くシルクロード、敦煌までを一般に「河西回廊」と呼びます(ガイドブックのウケウリ)
大連から嘉峪関への移動は、西安で5時間の乗り継ぎ。これが初日の難関だった…。
嘉峪関空港に着くと、万年雪を抱く祁連山脈がお出迎え。

嘉峪関に着いた翌日、早速車をチャーターして観光です。
まず向かったのは、万里長城第一トン(土ヘンに敦)。
トンは物見台の意味で、ここが本当の万里の長城の西端です。
万里の長城の東の端は、海に消える山海関、西の端は砂漠に消えていくのかと思っていたら、川が流れていてそこの断崖絶壁で途絶えていたのでした。これには結構「おぉっ」と感動しました。
川で切れるというのが分かりにくい写真しかないんですが、第一トンの周りは柵で囲まれて近づけないようになっており、その代わりというか、地下に洞窟みたいのが掘られていて、そこから見上げることができるようになっています。ちなみに、写真に写ってる興ざめな感じのケーブルは、この地下から向こう岸にターザンみたいに宙吊りで移れるように(こういうのなんていうの?)なってるものです。

ここまでくると万里の長城は、本当に単なる壁という感じで崩れかけてるけど、西端だけ不自然なほど補修されてました(笑)

ちなみにパンスポ家が持っている本は’05〜’06版という古いやつなんだけど、これには載ってない古戦場跡の復元みたいな作り物とかができてました。吊り橋もあって向こう岸にも渡れますが、向こう岸も同じような復元です

次に向かったのは、懸壁長城。
いわば万里の長城の支線(?)で、かなり険しい山を駆け上がるように造られた長城です。これは明代に築かれたものということで、結構しっかりした長城でした。
もっとも傾斜がきついところで45度もあるらしい。頂上というか端っこまで行くのに小一時間ほどもかかり、まるで軽登山て感じでした。

この辺りは湧き水が出ていて、ちょっとしたオアシスになっており、冷たい水で手を洗えて気持ちよかったです。
最後に、嘉峪関へ。
背後に万年雪を抱く祁連山脈がそびえ、なかなかかっこいい関所でした。
嘉峪関は、西端にあるので「天下第一雄関」と呼ばれているそうです。
敷地内は結構広くて、古代の関所とあまり関係なさそうな建造物も多かったけど、敷地内移動用の車を利用して適当にショートカット。子パンダには、この車に乗ったのが一番印象に残ったらしい(苦笑)
長城博物館というのがあり(中は撮影禁止)、たいして期待してなかったけど結構面白かった。

ところで、ときどき列車が通るのが見え、鉄道好きの子パンダはいちいち大喜び。
ちょうど途切れ途切れの万里の長城を列車が通過するところ。

フライトの関係で嘉峪関でもう1日あり、日帰りで氷河が見れるというので行ってみました。

車で片道2時間ほどで登山口に到着。ここですでに海抜4000m近くあり、なんとなく頭がズキズキ。
気軽に行ける氷河、みたいな感じで運転手に聞いてたけど、やはり氷河まではそこから結構あって普通に立派な登山でした。

子パンダは全然自分で歩かないくせに大泣きしておやつばかりねだるし、抱っこと肩車で頑張ってたかえる君も腕が限界です。1時間ちょっと登ったところで、天候も悪くなってきたので引き返しました。遥か遠くに氷河が見えました。

嘉峪関から敦煌への移動は、ローカルの長距離バス。
そもそも、大連→西安→嘉峪関と、敦煌→北京→大連の航空券しか買っていなかったパンスポ家。
子パンダに「電車とバス、どっちが好き?」と聞くと、「バス」というので、最も安上がりな移動方法に落ち着きました。もっとも、最近できた敦煌駅は便数が少なく鈍行のみ、柳園という駅は敦煌市街から130kmも離れていて駅から市内までまた2時間もかかるので、いずれにしても長距離バスが一番適当なのです(そーゆー問題か!?)
トイレ休憩を2回はさんだだけで5時間半もバスに乗ったけど、意外なことに子パンダは結構いい子で、途中いい感じで1時間半昼寝してなんとか乗り切りました。
ツーリストのDNAは、しっかり子パンダにも受け継がれてるようです(?)
つづく。
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2009年09月01日
Jリーグ第23節 モンテディオ山形戦
■川崎フロンターレ 2-0 モンテディオ山形

お久しぶりです。先週1週間、かえる君の日本出張に便乗して一時帰国していました。
一時帰国中にちょうど我らがホーム等々力で試合があったので、行ってきました!
パンダちゃんと子パンダにとっては、実に、約2年ぶりの等々力です。
開門前から並んで入場はできないので、相手が山形でよかった(失礼!)くらいに思ってたけど、いやはや、すごい人出ですね。
フロンターレも人気チームになったもんだ、と感慨にふけってしまいました。
子パンダは、胎教に始まり、日ごろのプレミアムDVD鑑賞によるイメトレ、ACLや中超などの実践で、すっかりサッカー好き。
スタジアムの人ごみや歓声にも全然動じず、ウッキウキです。
試合前Gゾーンに顔を出すと、「大きくなったね〜」とみんなが迎えてくれました。
子パンダは、大勢に注目されて恥ずかしがりつつ、ふろん太君が近づくと大興奮!これも日ごろの教育(洗脳)の成果です。
一昔前と違って、さすがにGゾーンはまだ無理なので、2階へ。
それでも応援の声はすぐ下から聞こえてきて、子パンダは大喜び。
選手の名前とか歌とかすぐには覚えられないものの、一応一緒になって手を上げて応援します。

相手が山形ってことで、元フロンターレ戦士がメンバーに入ってるかどうかも気になるところです。
結局交代での出場もありませんでしたが…。

試合のほうは、フロンターレが序盤に2得点をあげ、そのまま逃げ切りました。
ちなみに友達にもらった「生茶パンダ」は、子パンダもすっかり気に入った、というか気になったみたいで、試合中もずっと
「パンダ、お茶、入ってる!」
と遊んでました。

あ、かえる君ももちろん等々力に参上しましたが、かえる君が来ると負けるというジンクスがあるため、写真はなしです。
投稿者 あっこ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | [ カテゴリ : サッカー ]
2009年06月22日
大連実徳vs陕西中新(子パンダ中超デビュー)
■大連実徳 0-0 陕西中新
行ってきました大連・金州体育場(といっても1週間前です)
ついに子パンダが中超デビューです。
土曜日の午後2時半キックオフということで、前半限定で試合を見に行くことにしました。
1試合見ると、子パンダが多分持たないのと、晩御飯の時間に家に帰れないからです。
久々の金州体育場、かえる君も1年以上ぶりです。
チケット売り場でチケットを買おうとすると、「11番台(応援ゾーン)は売り切れ」と言われました。
藍色激浪のスタッフを見つけてチケットを買ってもらいました。
チケットは13番台でしたが、なんとか11番台に潜り込むことができました。
しばらく見ない間にずいぶんゲーフラが増えました。
人数もだいぶ増えたようです。
キックオフ直前に入場して後ろの方に座りました。
激浪の会員が結婚したとのことで、スーツ姿の新郎と、ウェディングドレス姿の花嫁が登場しました。
口ラッパの結婚行進曲で二人が入場してきて、観客席は大盛り上がりです。
(キックオフ10分位前なんですけどね)
よく見ると、マスコットの虎が2匹になってました。ていうか、横から見ると薄くないですか?
14:30、試合開始です。
子パンダに「ほら、サッカー始まったよ」と教えると、「サッカー・ポン、サッカー・ポン」と言いながら見ています。
応援も拍手に合わせて手をたたいたり、なぜか時々「フロンターレ」と叫んだりと、胎教・日々の教育(?)の成果がバッチリ現れていました。
試合の方は、期待のアン・ジョンファンが良い動きをするのですが、周りがそれに合わせられず、チャンスをものにすることができません。
何度か惜しい場面もあったのですが、相手に攻め込まれる危ない場面も結構ありました。
子パンダもみんなのコールに合わせて「アンジョンファン!」と応援します。
それでもやはり45分は持たずに、なぜか通路の階段を上ったり下りたりを始めました。
そんなこんなで、子パンダの応援むなしく、前半45分は0-0で終了しました。
前半も半ばを過ぎたころ、コールリーダーと目があってしまい、久々に観戦(しかも子連れ)に来たことがバレテいました。
ハーフタイムも新婚さん祝福ムードだったのですが、それでも「日本人の球迷(サポ)が久々に来たよ〜」ということで、前へ呼ばれました。
前へ行くと、コールリーダーが自分で使っていたマフラーを子パンダの首にかけてくれました。
しかし、子パンダはこんな大勢に注目されて恥ずかしくなったらしく、帽子を深くかぶって顔を隠してしまいます。
新婦に抱っこされてとうとう泣き出してしまいました。
泣き出したところで、ようやく解放され、後ろの席に戻れました。
後ろに戻ってからも、子パンダを間近で見ようというサポーターがゾロゾロ。
写真を撮ったり、強引に抱っこしようとしたりで、さすがに子パンダもイヤそうです。
後半開始10分ぐらいまで試合をみて、金州体育場を後にしました。
子パンダはかなり興奮したらしく、日曜日になってもサッカーモードでした。
1週間たった今でも時々「フロンターレ!」のほかに「アンジョンファン!」と突然叫びだしたります。
そしてコールリーダーがくれたちょっと汗臭いマフラーもすっかりお気に入りアイテムになり、自分で首にかけて
「かっこいい」
とか言って悦に入ってます。
また今度、早い開始時間の時にでも、観に行こうと思います。
ただ、市内から遠いのと、トイレが汚いのが難点なんだよな〜。
投稿者 しん | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0) | [ カテゴリ : サッカー , 中国 ]
2009年06月13日
子パンダのイギリス旅行・その5
最後は大英帝国の都ロンドンです。
だらだら更新してきたこの旅行記も、やっと完結です。
ふー、長かったー。旅行もレポも。
投稿者 あっこ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | [ カテゴリ : 日記 ]
2009年05月28日
子パンダのイギリス旅行・その4
グラスゴーを後にして、湖水地方へ向かいました。
湖水地方といえば、豊かな自然が残るピーター・ラビットの故郷です。
えー、だんだん記憶も薄れはじめましたので、このあたりから手短にいきたいと思います。
投稿者 あっこ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0) | [ カテゴリ : ]







