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2007年06月20日

ひょうたん島(と錦州と興城)に行ってきたよ!(観光編)

突然ですが、僕が住んでいる大連は中国の遼寧省にあります。
実は、遼寧省と河北省の省境の遼寧省側に「ひょうたん島」があるということを最近知りました。その場所は漢字では「葫芦島」と書きますが、「葫芦=ひょうたん」なのです。

NHKの「ひょっこりひょうたん島」はリアルで見ていたわけではないのですが、「ひょうたん島の歌」くらいは知っていますので、週末を利用して行ってみることにしました。

葫芦島へは大連から直通バスが出ています。
このバスに乗ります
土曜日の朝、かえる君、久々の遠出でウッキウキです。

大連からは5時間程かかるのですが、ウッキウキのかえる君は絶好調です。
途中のサービスエリア
途中のサービスエリアでパチリ。

ひょうたん島に到着
午後1過ぎ、バスは葫芦島のバスステーションに到着しました。ほぼ定刻通りです。着いてからすぐに帰りのバスのチケットを確保しました。

実は、葫芦島は、戦争が終わったときに、100万人を超える日本人が日本に帰るために船に乗った港なのです。今でも軍港として使われているので、立ち入りできるエリアはかなり限られています。まずは、バスステーションの前でタクシーと交渉して、当時の面影を残す場所に行ってみることにしました。

まず向かったのは、張学良が葫芦島の港を開港したことを記念する碑が建てられている公園です。ここは、石油が備蓄されていた施設のあとで、当時の石油タンクの後が残っていました(もちろん使われていません)。

引き揚げ記念碑 石油タンク
記念碑には「1051047人が1946年から1948年にかけて日本人が帰国した地」であることが書かれています。(バックは石油タンク)

断崖から渤海湾
断崖の上からは渤海湾が望めます。
下の海岸では海水浴をしている子供たちや散歩をしている家族がいました。

その後、タクシーの運転手に「あのー、もう一箇所、日本人が帰国した時の桟橋が残っているところがあると思うんだけど」というと、「えー、昔の埠頭でしょ。だってあそこ舗装されてないんだよね。行きたくねー」と言われてしまいました。ここまで来て諦めるわけにはいかないので、「10元(160円)追加するから頼むわ」ってお願いすると一発で「OK」が出ました。

先ほどの断崖から20分ほど未舗装の道を行き、桟橋に到着しました。

引き揚げ記念碑と桟橋 崩れた桟橋
渤海湾に突き出した桟橋はボロボロに崩れていて、地元のお兄ちゃんたちが釣りをしていました。すぐ傍には「1050000人(さっきより少し大雑把ですね)が帰国した地」の記念碑が建てられていました。一説によれば、引揚船が出港したのは、この近くの港(今は軍関係の施設でもちろん立ち入り禁止)の桟橋からだったとのことですが、しばらく、渤海湾を眺めてから、バスステーションに戻りました。引揚げの時には、大連や旅順はソ連軍に支配されていたので、満州エリアにいた日本人のほとんどは、この葫芦島(当時は国民党の支配エリア)から引き揚げたそうです。

バスステーションからはボロバスに乗り換えて、錦州に向かいました。錦州に向かったのは、キックオフには間に合わないものの、サッカーを見るためでした。(別途レポします)

サッカーを見終わった後は、駅の近くでホテルを探して、適当なホテルにチェックインしました(一泊160元だったかな?)。

次の日はここから100km弱離れた町の「興城古城」に行くことにしていたのですが、この移動をバスにしてしまうと全工程をバスで移動してしまうことになってしまいます。我慢できなくなったかえる君は、駅へ行って次の日の早朝、錦州から興城へ行く鉄道のチケットを買うことにしました。

電車の切符が買えました♪
切符を買えて大喜びのかえる君。硬座の切符は1枚5.5元でした。

朝の錦州駅です
日曜日の朝です。元気一杯のかえる君、錦州駅前でバンザイです。

硬座です 錦州の車窓から
鉄道に乗れてウッキウキのかえる君、左の写真は椅子と背もたれが90度の硬座、右の写真は車窓を眺めるかえる君、今回の旅はテンション高めですね。

約1時間後、列車は興城駅に到着しました。

ちなみに「シンチャン」と読みます 興城駅
今回は列車のポジションが悪く、かえる君の好きな先頭車の写真が撮れませんでした。残念。

興城は、明代からの町並みを色濃く残した街で、街の四方を囲む城壁が保存されているところです(その割にはガイドブックでもあまり見かけないんですけどね)。

さて、古城エリアまでは歩いて2kmもかからないところにあります。
興城についてちょっと説明しておくと、興城は1626年に満州族で後の清の基礎を作ったヌルハチに攻め込まれたものの、3日間の激戦の末、これを撃退し、これがヌルハチの戦いの人生の中で一番最初の敗戦となった場所です。

城壁です
街を歩いて行くとすぐに城壁が見えてきます。

街に入ります 町並み
城壁の中は普通に街になっていて、お土産屋や民家が立ち並んでいます。

石坊 自転車屋さん
写真左の建造物は「石坊」といって、街の有力者が寄進して作られたものです。凱旋門みたいな意味合いでしょうか。右の趣のある建物は自転車屋さんです。

富士山みたい?
城壁の後ろに見える山は、「首山」というのですが、日本人はその姿から「富士山」を想像してたらしいです。

太鼓
街の真ん中には鼓楼があって、時を告げるための太鼓が保存されていました。

SFC? あんまりおいしくない
歩き回っておなかが減ったので、近くにあったファストフードに入りました。
その名も「金山伽田」英文名が「SFC」。きっと本拠地が瀋陽なので「Shenyang Fried Chicken」なのでしょう。セットの内容も値段もKFCに似ていましたが、味は半分以下でした。

その後、興城から葫芦島に移動して、バスで大連に帰りました。

帰る時ふとに気がついたのですが、葫芦島は「ひょうたん島」ですが、島ではありませんでした。ま、大した問題ではないんですけどね。

おまけ情報
葫芦島のバスステーションの近くに、日本料理(「京橋」だったかな?)のお店があって、日本語のうまいスタッフがいてびっくりしました。場所を考えると、味もなかなかのものでした。また、駅の対面にサウナがあって、バスに乗る前に一汗流してからと思っていってみました。なかなか清潔なサウナだったんですが、「魚療」という名前で、皮膚の老廃物を食べてくれる魚がいる浴槽がありました。30分30元(500円)で浴槽に入ると、魚が全身をつっついてきて、なかなか面白かったです。

投稿者 しん : 2007年06月20日 14:55 | [ カテゴリ : 中国 ]

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