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2008年03月29日
西安に行って兵馬俑を見てきたよ・その2
さて、2日目です。
今日は、事前に日本語ガイドと車を手配していて、いわゆる東線ルートのツアーに行きました。
朝8時半にホテルを出発、まずは兵馬俑に向かいます。
1時間ほどで秦俑博物館に到着。
言わずと知れた兵馬俑ですが、1974年に農民が井戸を掘っていたら偶然見つけたもので、秦の始皇帝が自分の死後の世界を守るためにの軍隊を埋めたものと言われています。
駐車場を降りると、巨大な秦の始皇帝像が出迎えてくれました。
ちなみに、この石像は最近作られたものです。
碑林博物館で石碑の研究をしていたというガイドの王さんによると、この石材は白くて綺麗だけど、もろくて崩れやすいらしい。
この石像以外にも、石碑とか石畳とか、石を見るたびに「この石は〜」と説明してくれたのでした。
ここから歩くこと20分ほど。やっと博物館に到着。
3年ほど前に新しい駐車場ができて遠くなった、とガイドの王さん。
まずは一号抗。おぉっ!よくテレビや写真で見る兵馬俑が目の前に!!
この一号抗が一番大きくて、当時の軍隊の隊列がそのまま再現されていると言われています。
兵士の平均身長は1.78メートルと、まさに等身大で、顔や髪型も一体づつ全て異なっているという手の込みよう。
漢民族以外の顔立ちもたくさん含まれていて、いろいろな民族の混成部隊だったことが分かります。
修復作業を施された兵士や馬は、今にも動き出しそう。
これらが紀元前220年ごろに作られたのかと思うと、本当にすごいですね。
この兵馬俑、発見されてから30年以上も経つのに、まだ発掘・修復作業は続けられています。
修復を待つ兵士俑は、なんだか眠っているみたい。
修復作業には、1体につきだいたい100片以上のかけらを照合しなければならず、また粘土の膨張とか温度・湿度とかの関係で、夏場しかその作業ができないらしい。
一号抗の次は、現在二号抗が閉鎖中とのことで、三号抗を見に行きました。
三号抗は、大きさは一番小さいですが、軍隊の中枢だと見られています。
これまでに騎兵俑、将軍俑、文官(髪型で武官か文官か見分けられる)、また実戦では使用されない儀式用の武器などが見つかっています。
ところで、今見られる兵馬俑は土色ですが、もとは彩色されていました。
今は発掘が進んで空気に触れたことにより退色してしまったそうです。
これだけの規模の土偶がフルカラーだったらと思うと、ホントにすごいですね。
三号抗の後、売店を見に行きました。かえる君は、ひそかに兵馬俑発見者の一人で博物館の名誉館長の楊さんを見たい、と期待していたのですが、家に帰ってて不在でした(多分昼食を食べに帰ってたみたいです)。
かえる君、残念!それでも、すでにサインされた本が売られていたので、結局買ってしまったかえる君です。
気を取り直して売店の建物を出ると、なんと二号抗がちょうど開いたので入りました。
二号抗からは跪いた兵俑や、弓を射る姿をした兵俑が見つかっています。
この兵俑は、靴底の滑り止めがポイントです。
こちらは、俗に将軍俑と呼ばれている、位の高い兵俑。
馬と馬を引いている騎兵俑、弓を射る兵俑。
続いて、秦銅車馬展館へ行きました。
ここには、別の場所で見つかった車馬の2分の1のレプリカが展示されています。
車馬は2組あり、先導車と皇帝自身が乗るものです。
この傘は、太陽の方角にあわせて角度を変えたり、取り外して皇帝用の車馬に取り付けたりできるという芸の細かさ。
また皇帝が乗る車馬は、開閉可能な窓と扉がついていて、空調完備というこれまた手の込みようです。
まあ実はこの車馬を見てるときは、ガイドさんの日本語が微妙だったせいで、この車馬がここで発見されたわけじゃないこととか、これが実はレプリカで、2分の1サイズだってこととか、よく分かってなかったんですけどね(´ー`;)
古代ロマンを満喫したところで兵馬俑を後にして、およそ1.5km離れた秦始皇陵へ行きました。
ここで重大ミス!車にベビーカー置いてくればよかった…orz
ガイドさんも見るに見かねてかつぐの手伝ってくれました。すいません(ーー;)
この秦始皇陵は、多分風化で、昔より標高が低くなってるらしいです。
上からの眺めは、まあ普通に中国の農村が広がっているだけでした。
続いて昼食をはさんで、華清池へ行きました。
ここは、歴代の皇帝が保養に訪れた温泉地です。楊貴妃が使用したお風呂とか、玄宗皇帝が使用したお風呂とかが残っています。
水源がいくつかあって、触れるところがあったのですが、いい湯加減でした。
入浴施設もありますが、今回は時間的余裕がないので割愛。
また、ここは西安事変のときに蒋介石が逃げたという場所で、当時の弾痕がそのまま残っています。
続いて、鴻門宴遺址。ここは、項羽と劉邦が宴会を開き、項羽が劉邦を暗殺しようとしたとき、とっさの判断で劉邦がトイレから逃げた、という逸話の場所です。
中には、トイレ跡と宴会の様子を再現シーンがありました。
まあ歩き方の見どころ紹介で★1つなだけあって、そんな感じでした。
市内に戻って、興慶宮公園へ。
ここは、以前は入場料が必要だった頃は来る人も少なかったということですが、今は入場無料になり、市民憩いの公園という感じでたくさんの人でにぎわっていました。
この公園には、阿倍仲麻呂の記念碑があります。
阿倍仲麻呂は、遣唐使として唐に渡り科挙試験に合格して役人にまでなり、そのまま帰国することなく西安でなくなりました。
そのまま、永寧門を出て城壁沿いの吉備真備記念園へ。
ここには吉備真備の記念碑があります。吉備真備も遣唐使として唐に来た人です。
吉備真備の記念碑はあまり知られてないのか、地球の歩き方にも載ってなかったし、訪れる日本人も少ないとのことでした。
私たちも、もともとのツアーに含まれてた訳ではありませんが、時間があったのでガイドさんがついでに連れてきてくれました。
ガイド付きツアーは一応これで終了ですが、夕食に西安の名吃の泡[食莫](パオモー)を食べたいと言ってイスラム街に連れてきてもらいました。
パオモーは、小麦粉でできたイスラム系のナンみたいなものを細かくちぎって、羊や牛のスープに浸して食べる料理です。
名物料理に美味いもの無し、と覚悟していたのに、意外や意外、臭みもなくさっぱりとしたスープでとても美味しかったです。
まだ少し物足りなかったので、これまた名物という包子をテイクアウトで買い食い。
これまたなかなか美味しかった(空腹のせい?)
イスラム街をブラブラと散策しつつ、西安最大のモスクである清真大寺へ。
一見中国風の建物ですが、いたるところにアラビア語(?)が書かれています。
ちょうど礼拝の時間の前だったので、イスラム教徒が三々五々集まってくるところでした。
こうして2日目もギッシリ観光して終わりました。
最終日は、かえる君が仕事なのでホテルでゴロゴロするつもりだったんだけど、なぜか子パンダが絶好調!
だったので、やっぱり頑張って観光してしまいました。
つづく(かもしれない)
投稿者 あっこ : 2008年03月29日 23:40 | [ カテゴリ : 中国 ]
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