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2008年04月23日

旅順に行ってきたよ!

かえる君は中国・大連に赴任してもうすぐ丸3年なのに、実は旅順に行ったことがありませんでした。
車で1時間程度という近さが災いしたのか「ま、旅順くらい何時でも行けるよ」と思っていたら、3年が経とうとしていたわけです。
そんな訳で、重い腰を上げて、天気のよい土曜日に旅順に行ってきました。

実は、旅順はなかなかハードルの高い観光地なのです。
日露戦争の激戦地になっただけあって、今でも中国海軍の軍港になっていて、町の半分が外国人原則立入禁止なのです。
外国人原則立入禁止のエリアにも見所がたくさんあって、今回はきちんと旅行会社のガイドと車、運転手を事前手配して旅順に向かいました。

写真65枚という超大作(?)なので、続きを読むでどうぞ。

まず車が向かったのは、日露戦争時のロシア軍指令部要塞があった所です。
ここは営業日が不定期で、ガイドも実際に行くのは今日が始めてとのことでした。

舗装されていない道路を走り、小高い丘の上に登って到着しました。
看板には「日露戦争陳列館」とあります。
日露戦争陳列館

建物の中には日露戦争のジオラマが展示されていて、係りの人が、戦闘の流れを説明してくれました。
ジオラマ

廣瀬中佐が船を沈めてロシア艦隊を封じ込めた様子などがよく分かります。
砲弾やラッパなども無造作に置かれていました。
らっぱと砲弾

外に出て、要塞の跡を見学します。
まず目に付くのは、ロシア軍のキャノン砲です。
口径308m、射程距離の巨大な大砲です。(真っ赤に錆びています)
キャノン砲 弾を運ぶ台車

その近くには要塞の壁が残り、中の司令室等を見学することが出来ます。
日本軍の攻撃により壁の一部が破壊された 司令室

対面には日本軍の爆撃で開いた大きな穴も残っています。
日本軍の爆撃で開いた穴

次は、最大の激戦地、203高地です。
ガイドさんの話によると、203高地の名前の由来は諸説あり、高度が203メートル(それも、もともと206メートルくらいあったのに、日本軍の砲弾が激しくて低くなって203メートルくらいになった)というのが一般的ですが、実際は日本軍が戦争のときに戦地の山に番号をつけていて、それが203番目だったというのが正しいらしいです。
ロシア軍司令部の山から行く途中に車から見えた203高地です。
車窓より203高地を望む。

203高地に着くと、観光客がたくさんいました。
やはり殆どが日本人ですね。
これから203高地に登ります

丘の上に登ると、有名な「璽霊山」と書かれた記念碑があります。
乃木将軍がここで戦死した息子の霊を慰めるため、戦闘後に薬きょうを集めて溶かして、弾丸型に作った慰霊碑です。
璽霊山

ここからは、旅順の町や港を一望することができ、いかに戦略的に重要な場所だったのかが分かります。
203高地からの眺望

少しはなれたところに、日本軍の280mm砲のレプリカがありました。
203高地を占拠した日本軍が、ココからこの大砲で湾内に閉じ込めたロシア軍の艦隊を狙い打ちしたとのことです。
横で咲いているサクラがとても綺麗ですね。
280mm砲レプリカ ちょうど桜が見ごろでした

山の裏側には塹壕跡と乃木将軍の次男の保典が戦死した場所を示す碑がありました。
碑にはタバコが供えられていました。
塹壕跡 乃木保典君戦死之所

お昼を食べる前の最後の観光は、水師営の会見所です。
ここは、乃木将軍とステッセル将軍が停戦の会見をした場所です。
会見所 この建物は復元

もともとは農家だったようですが、戦争中は野戦病院として使用されていたとのことです。現在の建物は、復元です。
担架として使われていた板が、テーブルになってまだ残っていました。(偽モノという噂もあり)
復元かもしれないテーブル

中では日本語のウマイお姉さんが説明をしていました。
かえる君は満鉄マークの入った食器などに釘付けです。
満鉄グッズは本物かな?

ステッセル将軍から贈られた白馬「轟号」をつないだナツメの木は3代目らしいです。
3代目ナツメの木も、もう寿命間近

水師営の横のレストランで昼食を取った後、いよいよ外国人立入制限地域へ入ります。
まず向かったのは、日本人街です。
日本人の邸宅が密集していたエリアで、趣のある家屋がそのまま残っています。
最初に見たのは一般邸宅の建物が残るエリアで、今でも普通に家屋として使われています。
日本人街(一般) 日本人街(一般)
日本人街(一般) 日本人街(一般)

その後、高級一戸建ての残るエリアに向かいました。
ここは関東軍等の位の高い人が住んでいたエリアとのことです。
日本人街(高級) 日本人街(高級)

なんと、1件のおうちの庭に入れてもらうことができました!
オシャレな出窓の可愛い家でした。
日本人が住んでた家 日本人が住んでた家(おっと、後ろ姿が…。汗)
日本人が住んでた家 日本人が住んでた家

この通りはオシャレな一戸建で、出窓の感じも似た家が多く、分譲建売って感じです。
しかも通りがゆるい坂道になっていて、坂道の下は海になっていました。
函館に似た雰囲気とのことです。(函館行ったことないんだよね)
坂道の雰囲気がいい感じですね

旧日本人街を散策した後、関東軍司令部に向かいました。
関東軍司令部のすぐ近くにあったのは元ドイツ領事館です。
元ドイツ領事館

関東軍司令部の建物です。
関東軍司令部

外見はそうでもないのですが、内側の階段等はなかなか洒落たつくりになっています。
内装がモダンな感じ

建物の中は写真や関東軍の装備、司令部の再現などなかなか充実した展示になっていました。
関東軍司令部の展示 関東軍司令部の展示
関東軍司令部の展示 関東軍司令部の展示

建物の向かいには、ソ連軍の撤退記念碑と旅順博物館が見えていました。
旅順博物館は大谷探検隊が新疆から持ち帰ったミイラなどが展示してあるとのことで、見学したかったのですが、今回は規制が厳しいとのことで見学は見送りでした(残念)。
入れなかった旅順博物館

関東軍司令部を後にして、いくつか建物をめぐることにしました。
まずは粛親王府旧址です。
ここは、清朝王族の家で、「東洋のマタハリ」こと川島芳子の実家です。
川島芳子の実家

ここは元旅順師範学堂(教員養成所)で、現在は旅順215医院になっている建物です。
元旅順師範学堂

師範学堂の対面に建っていたのが旅順ヤマトホテルです。
元旅順ヤマトホテル
現在は招待所という宿泊施設になっていますが、面影は全くありません。残念。

この建物は旧関東庁です。
旧関東庁
人民広場の関東州政府に移る前は、ここが大連・旅順エリアの行政の中心でした。
今は何にも使われていないようです。

旅順駅です。
この駅舎はロシアが建てたものです。
旅順駅
満鉄の出発地点(終点とも言えますね)はここ旅順になります。
後ろには表忠塔(あとで見学します)が見えています。

この付近の港は全て軍港なので見ることが出来ないなーと思っていたら、なんと突如「軍港遊園」と書かれた看板が現れました。
軍港遊園
なんと、今日はここも見学することが出来ました。
中に入ると、最新鋭と思われる軍艦は壁があって見ることが出来なかったのですが、退役艦らしき艦艇は見ることが出来ました。
撮影しちゃってよかったのかな?

かえる君の頭の上の陸地が切れているところが、廣瀬中佐が船を沈めて旅順港を封鎖した場所です。
旅順の地形がよく分かります
のどかな風景で、見学者も記念撮影をしていました。

軍港遊園を後にして白玉山へ向かいました。
この塔は日本統治時代は表忠塔と呼ばれた塔です。
白玉山の表忠塔
日露戦争の勝利を記念して、乃木将軍・東郷将軍の発起で作られたとのことです。
材料は全て乃木将軍の故郷の山口県から運び込まれたそうです。

ここからの旅順港及び旅順市内の眺めはバツグンです。
「旅順口」の看板は公益施設です こちらも眺めはサイコー

塔の向い側には、もともと2万人超の戦没者の納骨堂があったのですが、現在は旅順海軍兵器館になっています。
ここはツアーに入ってなかったかもしれないけど、行きたそうな顔をしてたら入れてもらえました。
旅順海軍兵器館 旅順海軍兵器館

戦車やミグ戦闘機、ヘリコプターなどが展示されています。
戦車 戦闘機
迷彩服を着て写真を撮ることもできます。(撮らなかったけど)

もともと納骨堂(白玉神社)であったことも看板に書かれていました。
納骨堂の看板

兵器館を見た後は、東鶏冠山要塞へ向かいます。
その途中でも日本統治時代の建物に立ち寄ってくれました。
(一部は規制が厳しいので車内からの撮影)

旧関東軍裁判所
旧関東軍裁判所

日露監獄旧址
日露監獄旧址

ハルピン駅で伊藤博文を射殺した安重根はこの裁判所で裁判にかけられ、監獄に収監されたとのことです。
現在、安重根の遺骨の調査が行われているとのことで、特にこのあたりの規制は厳しいらしいです。

東鶏冠山要塞に到着しました。
到着したのが4時過ぎと遅かったこともあって、人影もまばらです。
写真展示室は見ているそばから電気が消され、部屋から出た瞬間にシャッターが下ろされました。

東鶏冠山要塞は、大連と旅順港を結ぶ最短ルートに位置する要塞で、ロシア軍が特に堅固な要塞を築いていた所です。
真正面から突っ込んだ日本軍は結局ここを攻略することが出来ず、攻略目標を203高地に変更したのでした。
東鶏冠山

コントラチェンコ将軍戦死の場所には記念碑が建てられています。桜が綺麗ですね。
露国コントラチェンコ少将戦死之所

要塞の壁には日本軍の弾丸の跡がたくさん残っています。
要塞 穴は全て弾丸の跡

日本軍の猛烈な射撃で、一方向からのみ壁がえぐれています。
斜めにえぐられた壁

ここは居住空間で、もともとは2階建てだったらしいです。
以前は中までは入れたらしいですが、今は天井に亀裂が入ったため、入れません。
老朽化が激しい

ちょっと見難いですが、これは日本軍が掘り進めた地下道と、爆破の跡です。
ここまで地下道を掘ったのに…
こんなに攻め込んだのに攻略できなかったというのだから、よほど守りの堅い要塞だったんですね。

これで旅順観光は終わりです。
帰りの車の中はみんな爆睡でした。

実は、また来月別の形態のツアーで旅順を訪問する予定です。
どうぞお楽しみに。

投稿者 しん : 2008年04月23日 23:05 | [ カテゴリ : 中国 ]

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コメント

旅順ですか。私も3回ほど行きました。アカシアの花がきれいだったのを覚えています。大連のカルフールもデモがあったようですね。自分がいる頃はNHKのニュースも中国に批判的な物はその部分だけいつも受信できませんでした。今でもそうですか。
まもなく労働節ですね。一息つけることでしょう・リフレッシュしてください。日本もまもなくゴールデンウィークモードに入ります。

投稿者 ホーリーくん : 2008年04月24日 21:29

>ホーリーさん

お久しぶりです。
今、大連は桜の季節です。旅順へ行く途中の龍王塘ダム方面は桜祭りで大渋滞でした。
カルフールのデモは、家の近所だったんですが、所用があって見そびれました。
NHKは最近はあまり途切れることがないですね。
むしろマンションのアンテナの不具合で大河ドラマが見れないことがあることのほうが不便です。

労働節は今年から3連休しかないので、成都にぷらっと行ってきます。

投稿者 かえる : 2008年04月26日 22:33

旅順の桜ですか。私も一度行きました。日本のそめいよしのとまでは行きませんが中国の人もかなり楽しんでました。ちょっとほこりぽかったのとトイレがいつも通りだったのがマイナス点でしたが職場の同僚とそこそこ楽しめました。雨が降ったりするとスカパーがよく写らなかったのを思い出します。そうなるとせっかくの週末も半減です。かえるさんのホームページを見るたび大連を思い出します。これからも楽しみにしています。

投稿者 ホーリーくん : 2008年04月28日 21:47