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2009年04月29日
高句麗の古都に行って、好太王の碑を見てきたよ!
突然ですが、かえる君は結構歴史好きです。
パンダちゃんと子パンダがかえる君を置いて旅行に行ってしまったので、何をしようかな?
と考えているうち、あることを思い出しました。
「そういえば、会社の社員に集安出身の社員がいたよな」
集安と言うのは、高句麗の都が置かれていた土地で、歴史の教科書に出てくる
「高句麗好太王の碑」を始め多くの遺跡が残っていて、世界遺産に登録されているとのことです。
とりあえず、集安への交通手段を調べてみました。
一番早いのはバスで9時間・・・電車だと13時間・・・
しかし、子パンダを連れてバスに9時間乗るのも無理な話なので、なかなか実現できなかったのです。
それでこの機会に行ってみることにしました。
書いてたら長くなったので、続きを読むでどうぞ。
まずは、大連駅に到着です。
大連駅の裏手にまわると、バスターミナルがあります。
ここには近くは旅順、庄河、遠くは上海や、広東省まで行くバスもあります。
遠くへ行くバスはきっと2-3日走り続けるバスなのでしょう。
午前11時過ぎにバスは大連駅を出発しました。
バスはひとまず丹東を目指します。
丹東は、かえる君は3回訪問済みでの街で鴨緑江沿いの北朝鮮との国境の町です。
大連ー丹東間の高速は比較的新しいので、SAも奇麗で快適です。
お昼ごはんは大連の久光の地下でお弁当を買っていきました。
その他にも到着が遅いことを見越しておにぎりやお菓子も準備していきました。
4時間ほどでバスは丹東へ着きました。
市内は通らなかったのですが、見覚えのある虎山長城などが見えてきます。
川の向こうは北朝鮮ですね。
結局集安の町に到着したのは、夜8時を回ってからでした。
その日はバスターミナル近くのホテルに泊まり、近所で石焼ピビンパを食べて寝ました。
次の日の朝、目を覚ますと、目の前の公園で太極拳やダンスをしている人たちがいました。
いかにも中国な朝ですね。
朝ごはんを食べて公園へ行ってみると、太極拳の人たちはもういませんでした。
かえる君、ちょっと起きるのが遅めだったみたいです。
公園はその名も「高句麗遺跡公園」でした。
宮殿に使用されていたと思われる礎石が展示(?)されていました。
公園から10分ほど歩くと、住宅街の中に、フェンスで囲まれたエリアが見えてきました。
これは昔の城壁跡とのことです。
税関もありました。
ここが北朝鮮との国境の町だからでしょう。
集安は小さな町で、繁華街を端から端まで歩いても30分もかかりません。
とりあえず徒歩で鴨緑江を目指します。
鴨緑江にたどり着きました。
川の向こうは北朝鮮です。
かえる君、1年半ぶりの北朝鮮です。(だからどうって訳ではないのですが)
ここで、一度ホテルへ戻り、観光の準備をします。
まずはガイドブック、飲み物等をかばんに入れて、タクシーと交渉です。
タクシーの運ちゃんも慣れたもので、見どころマップを持っていて一回り100元と言ってきます。
それほどぼったくられてる金額でもなかったので、そのままOKして観光に向かいました。
まずは、北朝鮮との国境にかかる国境大橋へ向かいます。
この橋は集安と北朝鮮の満浦を結ぶ鉄道橋で、日本統治時代に作られました。
朝鮮戦争の際の爆撃にも耐えたとのことで、当時の見張り台もゲートの傍に残っています。
通常は橋の真ん中まで見学できるらしいのですが、先日のミサイル騒動で、観光不可とのことでした。
車の中から撮影していると、運ちゃんが「向こう側がもっと見えるところに行こう」と言って、川沿いに5分ほど行くと、
向かい側に満浦村が見えるスポットにつきました。
有料の双眼鏡で覗くと、土曜日だからか、人々がのんびり歩いています。
集安から出ている列車が到着する駅が見えます。右上には金日成の似顔絵もあります。
次は、世界遺産に登録されている将軍墳を目指します。
将軍墳は古墳の一つでピラミッド型の古墳が残っています。
一説では好太王の墓とも言われています。
入場券売り場で付近の見所の通し券を買いました。
1か所30元の入場券が4か所合計で100元とちょっとお得です。
小ぶりながら、なかなか立派な古墳ですね。
後ろ側に階段がついていて、玄室まで入ることができます。
玄室の中には石の棺のようなものがあったのですが、写真を撮ったら警備の警官に怒られました。
将軍墳の横には、陪墳があります。
恐らく奥さんが埋葬されていたとのことです。
両古墳ともに盗掘されていて、特に発見されたものはないとのことです。
ま、これだけ目立つところにあれば、仕方ないですね。
次に、高句麗好太王の碑へ向かいます。
将軍墳からは車で10分もかかりません。
中国語では「太王碑」と呼ばれています。
石碑は、保護のためにガラスの建物に入っています。
なんだか電話ボックスみたいですね。
ガラス張りで良く見えないな〜と思っていたら、ガイドのお姉さんが来て、ボックスの中に入れてくれました。
でも、撮影はだめよと言われたので、大人しく見学してきました。
日本(倭)に関する記述を探したのですが、ほとんど文字が読み取れない状態で、結局判別できませんでした。
どうやら拓本を取り過ぎたり、周りの草を取るのに火をかけたりしたのが原因とのことです。
石碑のすぐ近くには太王墳と呼ばれる古墳がありました。
好太王の墓という説もあるとのことです。
こちらも後ろ側に階段があって玄室を覗くことができました。
次は、貴族古墳群です。
貴族の古墳が5つほどかたまって残っています。
このあたり古墳は、古墳自体の大きさがあまり大きくなく、
そのためか内部、特に壁画の保存状態が非常に良いとのことです。
それでも、近年世界遺産に登録され、ほとんどの玄室の壁画が非公開になってしまいました。
このエリアの貴族古墳群の中では、4号墳の玄室が公開されていて、なぜか公安(警察)の人が中で説明してくれました。
もちろん撮影禁止ですが、玄武、白虎、朱雀、青竜や天女、竜等の壁画が色鮮やかに残っていました。
一説によると、日本の高松塚古墳とも関係が深いとのことです。
古代史ファンにはこれだけでも集安に来る価値があると思います。
最後に丸都山城の見学です。
高句麗はすぐれた戦闘国家で、平時は平地の都に住み、戦争時には山城に立てこもったとのことです。
丸都山城はその山城の遺跡で、城壁や城門等が残っています。
まず見えてきたのは、南門の城壁です。
平地から丸都山城に来るには、ここしか入口はありません。
この門だけ堅固に守れば、他は山なので、敵は入ってこられません。
天然の要塞という言葉がピッタリですね。
宮殿が置かれていた場所です。
今は畑になっていて、牛がノンビリ散歩をしていました。
将観台です。
閲兵を行ったと考えられています。
西側の城壁が残っている方へ登ってみました。
河が蛇行している様子がよくわかります。
西側の城壁のあたりへ行くと、山城下貴族墓地群が見えます。
ここも貴族の墓地が立ち並んでいるところで、なかなか見ごたえがあります。
山城下貴族墓地を見学して、市内へ戻りました。
市内で冷麺を食べたり、鴨緑江沿いに散歩したりとのんびり過ごしました。
日曜日は朝9時のバスに乗って大連へ帰りました。
途中で昼ごはんを食べたり、渋滞につかまったりしたので、大連に帰りついたのは夜7時過ぎでした。
3日で20時間近くもバスに乗ったので、お尻が痛くなって困りました。
歴史好きのかえる君は、遺跡もバスも堪能した3日間でした。
投稿者 しん : 2009年04月29日 22:42 | [ カテゴリ : 中国 ]
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