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2009年09月19日

子パンダのシルクロード河西回廊旅行・敦煌前編

つづく。と書いておきながら、ちょっと放置してしまいました。すみません。

敦煌の一日目は、やはり車をチャーターして郊外の見所をぐるっと回ります。
砂漠の昼間は灼熱地獄!ということで、かなり早起きして出発です。

まず向かったのは、玉門関。漢の時代に作られた西端の関所です。
ここは、だだっ広いゴビ灘の中にぽつんと、しかし巨大な土(?)の塊があるという感じで、そこがそうだと説明されなければ分からないようなシロモノでした。
砂漠の中にぽつんと。でもデカイ。 玉門関の近景

玉門関の周囲には漢代長城跡が残っています。
そこそこしっかり残っているものは柵に囲まれているのですが、その周りにある単なる土の盛り上がりも長城跡だそうです。
これは分かりやすい長城跡 柵の外にも延々と不自然な(?)土の盛り上がりが続く

手持ちのガイドブックに「周囲には狼煙のための燃料(藁の束のようなもの)が残っている」とあるのですが、これかな?
狼煙の燃料か

こちらも玉門関の近くにある河倉城という、これは兵糧を蓄えるために使われていた城壁跡。
風化はすすんでいるものの結構建造物が残っていました。といっても、食料庫だったとは、言われなければ分かりません。
何かのモニュメントみたい 食糧倉庫だったという面影はとくにない

たまたま運がよかったのか、わざわざ足を運ぶ人が少ないのか、漢代長城と河倉城は人気がなく、どっぷり歴史ロマンにひたれました。

続いて向かったのは、陽関
ここは、王維の詩に「西の方、陽関を出ずれば故人無からん」と詠われた、これまた重要な関所です。
2007年だったかな、最近「陽関博物館」としてリニューアルというかいろいろ作ったみたいで、やけに新しい入り口でした。
雰囲気は一応出てます

チケット代にガイド料が含まれており、もちろん中国語のみですが、昔風の衣装を着たお姉さんが解説してくれました。
博物館内には、この辺りで発掘されたものが展示されており、とくに生まれてまもなく亡くなった子供のミイラは衝撃的でした。

博物館を出てガイドに従って進むと、これまた古代の集落跡っぽい復元と、通関の様子を復元したものがありました。
ここでは、観光記念に通行手形を作ることができ(有料)、また勝手にいろいろ触って写真も撮ってよいとのことで、子パンダはやっと自分の出番が来たとばかりにガチャガチャとなんかお札とかをいじって遊んでいました(笑)
嘉峪関でもこんな感じのを見たような気がする 結構真剣な子パンダ

余談ですが、中国語で「よろしくお願いします」の意味の「請多関照」は、この陽関の関所で护照(パスポート)を手続きするところから来ている言葉なんだそうです。
といってもこの「請多関照」、中国語を覚えたての日本人が好んで使い、あまり中国人は使わないらしいですが。

さて、前フリは終了、これからやっとホンモノの遺跡に向かいます。
陽関博物館や古代集落復元から遺跡までは、すぐそこに見えてるようで結構な距離があります。
もちろん歩いていくこともできなくはないですが、馬かカートに乗っていくことを勧められ、素直にカートに乗りました。
唯一残っている建造物の、狼煙台。
この日これまでに見てきた遺跡とどう違うんだ?、みたいな(笑)

柵の向こう側は、漢代の頃の陽関大街らしい。当時はシルクロードを行き交う人や駱駝で賑わっていたことでしょう。
その向こうに見える緑は、陽関鎮。砂漠の中のオアシスだということが、よーく分かります。
何もないだけに、むしろ感動した

ところで、車で走っていくといたるところにあるこんな掘っ立て小屋。なんだと思います?
大きさが分かりにくいですが…
これは、干し葡萄を作るための葡萄干し小屋なんだそうです。
ちなみにこの旅行では見かけませんでしたが、新疆の方に行くと街路樹は葡萄の木らしい。
理由は、放っておいても勝手に育つから。しかし、農薬まみれなので、もちろん食べられません。

続いて向かったのは、西千仏堂
有名な莫高窟の西側にあるのでこう呼ばれているらしいのですが、広域的に見ると同じ系列の遺跡になるそうです。
規模は莫高窟に及ばないけれど、仏教美術的には同じくらい重要なものらしい。
しかしそんなに有名でないというか、莫高窟が有名すぎてこちらは観光客が少なかった。
やはり中は写真撮影禁止、19だかの窟があり、そのうち5つくらいだかしか公開されていないとのことです。
見てのとおり、観光客は少ない

お次は、倣宋古城。倣宋古城なんて言うより、”電影城”て言う方がよっぽど通りがよかった。
映画『敦煌』の撮影で使った実物大のセットで、その後も中国の映画やドラマの撮影で使われているらしい。
ここに行く頃には、時間も昼近くなりかなり暑い。しかも短時間にいろいろ見すぎて、結構お腹いっぱい状態(--;)
所詮映画のセット、と思って、適当に写真だけ撮ってすぐ退散しました。
これまた時間帯のせいか、他に観光客がほとんどいなかった。
見た目は結構立派。 観光客もいないと、なんかゴーストタウンみたい

さくさく行きます。次は、白馬塔
4世紀の末、西方の高僧が敦煌に至ったとき経典を担がせていた白馬が死んだため、篤信の敦煌の人々が馬をここに埋葬して塔を建てたらしい。その後たびたび改修され、現在の塔は清代のもの(ガイドブックそのまんま)
車で市内に戻る道なりにあるので行ったけど、わざわざ行くほどの見所ではなかった。
この頃には、暑すぎてやる気限りなくゼロです

白馬塔のすぐ近くにある沙州古城
敦煌の町が今の場所に移される前、「沙州」と呼ばれていた頃のシルクロードの要衝地として栄えたところ。
はっきり言って崩れかかった砂山っていうか、チケットとかもなく、道端に突如出現するので、工事現場かなんかの土砂堆積場かと思いました(^^;)
沙州古城 工事現場みたいなトラックが出入りしてるし…

思ったより長くなったので、続きは別エントリーに分けます。つづく。

投稿者 あっこ : 2009年09月19日 23:24 | [ カテゴリ : 中国 ]

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コメント

あ!子パンダがうつってるね!!
わたしもブログしてみたからみてみて
長崎の写真もあるよ
http://ameblo.jp/nekotama0717/entry-10346297471.html

投稿者 いもうとカエル : 2009年09月20日 00:45

子パンダの肖像権を尊重して、一応あまり顔が写ってないのにしてみたよ(笑)
ブログはじめたのね!
早速リンクに入れてみた
迷惑なら外すから言ってください

投稿者 あっこ : 2009年09月21日 22:56